記紀に綴られたはじまりの島
古事記・日本書紀に描かれる
「国生み神話」において最初に誕生したと
記される「おのころ島」。
記紀編纂から千三百年余の時を経て
脈々と受け継がれてきた壮大な天地創造の物語が
この地に伝えられています。
神話の浪漫が漂う神秘の島
古事記・日本書紀によると、おのころ島で夫婦となった伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二柱の神は、日本列島の島を次々に生んでいきます。その中で最初に生まれた島が「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」、すなわち淡路島であると記されています。
淡路島には、日本のはじまりの時を刻んだ、国生み神話ゆかりの場所が数多く存在し、訪れる人々を悠久の彼方へと誘います。国生みに始まる全ての神功を遂げた伊弉諾尊が、余生を過ごした住居跡に建てられた日本最古の神社と伝えられる伊弉諾神宮のほか、おのころ島だとされる「おのころ島神社」「絵島」「沼島」など、島内には神話の浪漫が漂っています。
日本神話ゆかりの
名所を巡る
天地創造の物語「国生み神話」に思いを馳せ
島に点在するゆかりの地を巡る歴史探訪の旅へ出かけましょう。
淡路人形浄瑠璃
~神事から芸能文化へと~
約500年の歴史をもつ淡路人形浄瑠璃は、太夫と三味線による義太夫(音楽)にあわせて、一体の人形を三人で操る国指定の重要無形民俗文化財。
淡路人形の元祖 上村源之丞座に伝わる「道薫坊伝記」によると、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)の子である「蛭子神(ひるこしん)」の心を慰めるために、西宮戎神社で奉納された人形操りがその始まりで、傀儡師(くぐつし)百太夫により淡路島にもたらされ、この地で大いに広まったと言われています。
神事から始まったこの人形操りは、江戸時代に「浄瑠璃」「三味線」と融合し、「人形浄瑠璃」という芸能文化として発展しました。
18世紀の初め頃には、淡路島内に40を超える座元が競い合い、全国各地を巡業していました。日本各地には淡路人形の影響を受けた座が今なお約80座残っており、大阪の文楽や徳島の阿波人形も淡路島から伝わったものです。
淡路人形浄瑠璃は今も淡路人形座で鑑賞することが出来ます。
淡路のだんじり唄
だんじり唄は別名「浄瑠璃くずし」とも言い、淡路人形浄瑠璃の外題(演目)や歌謡浪曲をもとに、名場面を抜き取り脚色し浄瑠璃や民謡調の節回しを付け、さらに日本の伝統芝居、話芸などを取り入れながら、独自の団体芸に昇華した、淡路島の代表的な郷土芸能です。
だんじりの太鼓と拍子木を使い、全員で唄う「つれ節」に、浄瑠璃調の「語り込み」と民謡調の「振り」という独唱があり、唄の合間に「語り」が入ります。
淡路島南部では、3月上旬から5月上旬にかけて毎週どこかの神社で春祭りが行われ、祭礼団による「淡路だんじり唄」が奉納されています。
淡路のだんじり祭りについて
だんじりとは、神社の祭りで曳き回す神座のことで、淡路島では、赤い布団を5枚重ねた「布団だんじり」が多く見られます。
だんじりの胴は、金糸銀糸で刺繍されたきらびやかで重厚なものであり、加えて物語の一場面を描いた狭間の彫り物も緻密で、ともに職人技の粋を極め、贅を尽くしたものです。
淡路島のだんじりの起源は古く、元禄3(1690)年に洲本の船頭庄次郎が九州から持ち帰り、八幡神社の祭礼に出したのが始まりで、今のような「布団だんじり」が作られたのは明治23(1890)年頃からと言われています。
(引用文献 淡路学読本)