賀茂神社/4月:春季例祭・7月:夏祭・11月:新嘗祭
- 淡路市
- 歴史・文化
由緒
京都上賀茂神社の社記に欽明天皇の時代(西暦五三八年)に六〇余国に賀茂神田(荘園)を置いたとあり、淡路佐野生穂庄がその一所で、そのときから氏神として祀られてきました。後に、白鬚神(しらひげのかみ)、貴船神(きふねのかみ)、春日神(かすがのかみ)などを合わせ祀ったために四社明神とも呼ばれ、「しらひげさん」と呼ばれて地元はもとより淡路島内外から広く親しまれ信仰されてきました。
毎年4月19日直前の日曜日には春祭りが盛大にとり行われ、境内は7~8基のだんじりが激しく練りあって賑わいます。
創学の宮として
明治十五年、賀茂神社境内に生穂小学校校舎が建設され、初代校長の大川真澄は賀茂神社神職でした。また、明治三十四年には生穂佐野村組合立生穂高等小学校が賀茂神社内に創設され、社務所や絵馬殿を教室としました。明治四十年まで独立校として経営され、その間多くの人材を育てました。このように賀茂神社は生穂佐野地区の創学の宮として大きな役目を果たしてきました。