日本遺産認定!国生みの島・淡路島

日本遺産認定!国生みの島・淡路島~古代国家を支えた海人の営み~

平成28年4月19日(火)に文化庁にて開催された「日本遺産審査委員会」で、洲本市・南あわじ市・淡路市が申請した「『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人の営み~」が平成28年度の「日本遺産」に認定されました。兵庫県では昨年の篠山市に続く2件目。

日本遺産とは、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群の総合的な活用を支援する取り組みです。文化庁では、平成27年度から「日本遺産」の認定制度を整備し、2020年の東京オリンピックまでに100件程度の認定を予定しています。

今回、認定された「『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人の営み~」は、日本最古の歴史書『古事記』のはじめにある、壮大な天地創造の神話の中で最初に誕生したとされている“特別な島”が淡路島であるという事を全面的に打ち出し、その背景には、新たな時代の幕開けを告げる金属器文化をもたらし、後に塩づくりや巧みな航海術で畿内の王権や都の暮らしを支えた“海人”と呼ばれる海の民の存在と歴史を今に伝える島というストーリーをまとめ認定されました。

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ストーリー

日本最古の歴史書『古事記』には、イザナギ・イザナミの二柱の神様による「国生み神話」が書かれています。その中で最初に生まれた島が淡路島です。淡路島には伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)沼島(ぬしま)などが国生み神話を現在に伝える伝承地として残っています。この国生み神話が書かれた背景には、古代国家形成期に重要な役割を果たした淡路島の歴史が関係しているといわれています。それは、優れた航海術で先進文化を取り入れ、また塩の生産術にも長けた、海を生業とした“海人(あま)”と呼ばれる海の民の歴史です。そして、その歴史は古代国家形成の原点ともいえる弥生時代に始まります。

弥生時代は、稲作の本格化とともに古代国家成立に向かって社会が大きく変化するとともに、金属器時代の幕開けを告げる時代でした。淡路島ではこの時代に関係する遺物として、紀元前に製作された古式の青銅器である21個の銅鐸と14本の銅剣が発見されました。最も古い形態の銅鐸とされている中川原銅鐸(なかがわらどうたく)をはじめ、発見された7点全てに舌を伴い、国内で初めて「銅鐸・舌・ひも」が同時に発見された松帆銅鐸(まつほどうたく)、14本がまとまって出土した古津路銅剣(こつろどうけん)など、その多くが海岸部で発見されています。このことは、その地を神聖な場所として扱った新たな時代の祀りとその祀りに携わった海の民との関わりを想像させます。

弥生時代後期になると、青銅器文化が栄えた平野の集落に変わって山間地に集落が出現しました。山間地集落では、畿内中心部に先駆けて鉄器文化が取り入れられていました。1世紀に鉄器生産を開始した五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)では、その後100年以上継続した鍛冶のムラや朝鮮半島からもたらされた鉄斧などが海の民によって伝えられたと考えられ、淡路島における先端技術の定着を物語ります。また、二ツ石戎ノ前遺跡(ふたついしえびすのまえいせき)では、四国徳島産の辰砂を原材料とする朱の精製を行った工房跡や工具類が発見されており、鳴門海峡を渡って原材料を運び、時代のカギとなる重要物資の生産と流通に携わった海人の活動が想像させられます。

大王が前方後円墳に葬られる時代(古墳時代)の淡路島には、奈良時代につくられた『日本書紀』の中にも書かれている海人の活躍が数多くありました。応神天皇の妃を吉備(今の岡山県)に送る船の漕ぎ手として集められた「御原の海人」、仁徳天皇即位前に朝鮮半島に派遣された「淡路の海人」、履中天皇即位前に安曇連浜子(あずみのむらじはまこ)に率いられて軍事行動を起こした「野嶋の海人」など、淡路島を拠点とした海人と王権との深い関わりが考えられます。

3世紀頃になると、土器製塩が本格化します。引野遺跡(ひきのいせき)では、熱効率の良い丸底式の製塩土器の移り変わりがわかる遺物が発見され、貴船神社遺跡(きふねじんじゃいせき)では、炉底に石を敷き詰め熱効率の向上を図った石敷炉が兵庫県で初めて発見されるなど、島内各地の製塩遺跡で作業時間の短縮と大量生産を目指した塩づくりの進化の跡をみることができます。大量生産された塩は島内での消費にとどまらず、畿内の王権にも供給されたとされています。

大量の鏡や鉄器を副葬し、巨大な石室を築く古墳が造営される時代には、淡路島と列島を治める王権との繋がりが想像されます。コヤダニ古墳からは当時持っていることが権力の象徴の1つと考えられている銅鏡の1種である三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)が出土しました。また、鳴門海峡を望む小島全体が古墳群となっている沖ノ島古墳群(おきのしまこふんぐん)からは漁具関係の遺物が出土しており、激しい潮の流れをもつ海峡を生業の場とした海人が眠る古墳とされています。このように、塩の生産技術に長け、巧みな航海術をもった淡路島の海人は、王権にとって必要不可欠な存在となっていました。

7世紀後半から8世紀後半にかけてつくれられたとされる『万葉集』の中にも淡路島が詠まれています。詠まれた歌からは、奈良時代に受け継がれた海人の塩づくりを知ることができます。また、平安時代中期につくられたとされる『延喜式』の記録には、朝廷の儀式で淡路の塩が特別に用いられていたことが書かれています。塩の他にも淡路島の海人が採取する多くの海の幸が都に運ばれ、天皇の食膳を司る「御食国(みけつくに)」として伝えられ、淡路島の海人と朝廷との関係の深さが窺えます。

このような“海人”と呼ばれる海の民の歴史は、その後の島の暮らしの中で何度も振り返られ、その度に島民のよりどころとなって新たな文化を創造してきました。そして、貴重な遺跡や多様な文化遺産として現在も島に伝えられています。

ストーリーの構成文化財

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